ここは100年後の夏

みんな死んだよ

みんなが死んだ100年後の夏のはなし

ぐちゃぐちゃな気分のときにも種類があって、この三つをその時の気分でなんとなく、うっすら使いわけてる、気がしないでもない……。おしまいになりたい、は誰かがツイッターで言ってたのを覚えてて使うようになった気がする。死にたい、だと私の気持ちとはちょっと違う気がするし、おしまいになりたいだとポップな感じがあっていいな〜と思ってる。

この三つの中だと「はやくみんなが死んだ100年後の夏に行きたい」これが一番よく言う。2017年4月ごろから言いはじめたらしい。思ったより最近だ。最初はツイッタースクリーンネームが最高の夏休みだしそれに絡めたことを言おうとしてたんだと思う。最高の夏休み、我ながらいい名前だな。

最高の夏休みって名前を使いはじめたのは2016年11月ごろ、もうすぐ2年経つらしい。名前っぽくない名前にしたくて「最高の夏休み」にした。他に名前の候補は「幸福な人生」「楽しい生活」「コインランドリー」「連休初日」などがあった。今見てもやっぱり幸福な人生は捨てがたい!あと連休初日って名前で「しょにちゃん」ってあだ名で呼ばれたいだろうが!名前選択の葛藤はあったものの最高の夏休みを続けている。
まあみんな普通にみなもとか皆本とかにゃもで呼ぶし、私もそのへんで呼ばれたほうが馴染みある。最夏って言ってきたの誰だっけ?あれウケたな……。

みんなが死んだ100年後の夏のはなしをする。
みんなが死んだ、と言うだけあって人間はほとんど死んでしまったみたいだ。元々人間が使っていた建物や設備というものは雨や風や砂にさらされてぼろぼろで、朽ち果てるのをただ待っている。地上は過去の名残を残しているけれど、上空に太陽は変わらずある。空はきれいに青くて、時には大きな入道雲もあるかもしれない。夏だから、気温はおそらく30度前後くらいだと思う。
100年後の夏にいる私は、日がな一日海や空を、かつては街だった景色を眺めている。歩き回っていることもある。そこでの私は何かをしてもいいし、何もしなくてもいいし、何かを考えてもいいし何も考えなくてもいい。

そういうイメージ。「みんなが死んだ100年後の夏に行きたい」って言うとき、私はそこに行きたがっている。こういうのをうまく作品に昇華してまんがや小説にしたら「創作をするひと」にジョブチェンジできるんだけど、私はやる気がないからただの現実逃避だ。
元々冬よりは夏のほうが好きだったけど、最高の夏休みって名前になってから余計に夏が好きになった気がするし、名前の効果はすごい。実際に最高の夏休みを過ごしているかと聞かれたら、なんとも言いようがないですが……。

なんも考えずにブログに「ここは100年後の夏」って名前付けた。このブログは100年後の夏に存在することになった。スマホ無いだろうし、紙媒体かもなー。100年後の夏の私、海を眺めながら歩いてるとなぜか突然足元に紙の記事を落ちてるのを見つけて、それを拾って読むんだろう。みんなが死んだ100年後の夏という場所、だだっ広くてなんも無くて廃墟同然になってるのが魅力だとも思っているけど、自分の好きなものを確認するくらいは出来てもいいかもしんないな。
じゃあこのブログに好きなもんのことたまに書いたりするので、100年後の夏でそれを眺めたりなどしてくださいね。


この記事書いてて自分マジか?って感情が出てきた。
なんなんだお前。